理想を語って、何が悪いのだろう。
見たくない現実がある。
たとえば、父が重度の寝たきりであるということ。
遠くに暮らし、何のサポートもできていない情けない娘であるということ。
心配ばかりかけてしまって、本当にごめんなさい。
父にも、ちゃんと謝りたかった。
もっといろんな話をしたかったし、
もっといろんな場所へ一緒に行きたかった。
考え始めると、きりがない。
後悔は、静かに、でも確実に積み重なっていく。
今日は休日返上で仕事だった。
病棟には、父と同じように寝たきりの患者さんがたくさん入院している。
「それは理想でしょ。ここでは無理」
何気ない一言だったのだと思う。
悪意があったわけでもないだろう。
それでも、その言葉は胸に刺さった。
父そのものを否定されたような気がして、悲しくなった。
たしかに理想なのかもしれない。
でも、理想がなかったら、私たちはどこへ向かうのだろう。
理想がなかったら、父の状態を、私はどう受け止めればいいのだろう。
スタッフが、先に諦めないでほしい。
とことんこだわって、考えて、研究して、
その人にとっての「いちばん」を探し続けてほしい。
最高のサービスとは、奇跡を起こすことじゃない。
諦めない姿勢そのものだと思うから。
少し話は変わるけれど。
「老人」
「高齢者」
そう聞いて、どんな色を思い浮かべるだろう。
どんな二文字が、頭に浮かぶだろう。
それは、他人事ではない。
そのイメージは、きっとあなた自身の未来でもある。
「バラ色」「裕福」だっただろうか。
それとも
「灰色」「孤独」だっただろうか。
理想を語ることは、現実逃避じゃない。
未来を、まだ手放していないという意思表示だ。
